ほのかに甘く

 
バレンタインネタです。

韓国にも「義理チョコ」や「友チョコ」があるのでしょうか・・・?
あることにして下さい、お願いします。

 
 




公演明けの休暇2日目。

所用で出ていたカン・マエが、きんと冷え込む真冬の曇り空の午後、庭先に停めた濃紺のメルセデスから降りて玄関を開けると、家の中にはなにやら甘い香りが漂っている。
この、鼻の奥に沈殿するような濃い匂いは、そうだ、すぐに分かる。

・・・チョコレートだ。

「帰ったぞ」

声をかけつつ、甘ったるい中にひとかけらの苦味の混じる香りに満ちたリビングへ入れば、奥のキッチンから
「お帰りなさーい、早かったね」
と、ひょいと15歳年若の妻が顔を出した。

「ごめんね、いまちょっと手が離せなくて・・・きりがいい所までいったら、コーヒー淹れます」

「ああ」と「うん」の中間の低音で頷きつつ、夫の側は正直に怪訝げな表情をしていたのだろう、エプロン姿のトゥ・ルミはひとつにまとめた栗色の髪を揺らしつつ

「ほら、明日はバレンタインだから、チョコを」とニコニコとしてみせた。

「・・・・・」

妻の屈託ない笑顔とは対照的に、ますます眉間の皺を深くして、今度は怪訝から困惑へとはっきりと表情を変化させ、カン・マエは、む、と口を歪める。
”バレンタインだからチョコを”と言われても・・・

「だが、俺はチョコレート――」

などいらんぞ。

と言いかけた彼の言葉に乗っかったのは、

「あ、大丈夫よ。あなたは好きじゃないもんね? あなたのじゃないのよ、大丈夫よ」

という、ルミのあっけらかんとした一言だ。

「―――・・・」

変に機先を制されて、ぐむ、と彼は続きを喉の奥に飲み込んだ。
不本意とも拍子抜けともつかない、むしろそれらの等分に混ざった表情で、何度かまばたきを繰り返す。頬に微妙な皺が寄った。

まさか、あっさりと「あなたのじゃないのよ」と言われるとは予想していなかったので、しかも今の口ぶりからすると、ルミとしては、彼の好みをおもんぱかってあえて「用意しない」と気遣ったらしい――なにしろ「大丈夫よ」を2回も繰り返した――ので、さらに何も言えないままに、

「・・・・・」

今度ばかりは「うう」に近い発音で喉の奥で低く一度うなずくに留めて、彼はかろうじて重々しく応(いら)えると、そのまま自室へと向かった。
階段を上る彼の背中に、軽やかなルミの鼻歌とカカオの香りがまつわった。





それから彼が書斎にこもって、すでに2時間近くになる。
カン・マエは春の客演で振るメンデルスゾーンのスコアをめくりながらも、少々気持ちが落ち着かない。

相変わらず家の中には甘く濃くチョコの香りが満ちているし、彼の妻ときたら一度コーヒーを淹れてきたきりまたキッチンに戻って、誰のためだか知らんがせっせと手作りにいそしんでいるのだ。

そうだ、彼のではないというのであれば、いったい誰に贈るものをあんなにも楽しげに ―なにしろ鼻歌つきだ!― 作っているのやら。
まさか自分で食べるためだなんてことでもなかろうに。

しかし、では自分が妻からチョコレートをもらって当然だと思っていたかといえば別にそうでもなく、大体そんなものをついさっきまで意識すらしたこともなかったのに、いまや彼を取り囲むこの部屋の空気ごと、家じゅうがバレンタインデーの訪れを声高に触れるかのように、カン・マエには感じられる。

 くだらん。チョコレートを贈ってはしゃぐなど、単なるお祭り騒ぎではないか。

と鼻を鳴らしてみるものの、だからといって、ルミが他の人間のために手作りすることが楽しいかと問われれば、素直に肯定できないと言えないこともない。

まあなんとも我ながらややこしくて度し難いと、彼は人生何度目かに、自分自身を嘲った。

そもそもドイツ(こちら)のバレンタインは、カップルのための行事であって、彼らの祖国や日本のように、誰彼かまわずお菓子を贈りあってクラスメイトや同僚とはしゃぎたてるイベントではない。
となれば、ますますもって、あのチョコは意味深いと言えるではないか。

しかもほとんどが、「男性から女性へ」贈り物を添えて気持ちを表す日なのである。
それと知らずに、あいつはもしや突拍子もない行動を起こすのではなかろうか――
と、これまで十二分に妻の突飛さに振り回されてきた身としては、懸念が尽きない。

「・・・・・」

どうにも集中力を欠いた自分自身を認めて、彼は深く短く息をつき、放り出すようにペンを投げて分厚いスコアをパタンと閉じると眉間を押さえつつふるふると首を振った。

エスプレッソはとうに空だ。
淹れに行くか、と、思ったタイミングで、その部屋のドアが軽くノックされ、

「・・・あのね?」

そっと扉を開けてルミが顔を出した。

書斎椅子を半身分だけくるりと回して入り口に向き直り、カン・マエは「うむ」と頷いて応じる。
トゥ・ルミはするりと扉の間から部屋に入り

「これなんだけど」

と、トレイを差し出した。
白い小皿に、ココアパウダーをまぶした2センチ四方の生チョコが3つ、ミントの葉を飾り付けに、きれいに盛りつけられている。

さきほどまで妻が張り切って作っていたものであろうことは、言われなくても分かった。

「・・・失敗したわけじゃないけど、後から気付いて、今、別のチョコを作り直してるの。だからこの生チョコをどうしよっかな、って」

「・・・・・?」

彼女の意図がひまひとつ分からず、小皿から視線を移してルミを見上げ両眉をくいと鋭く上げて、言葉の続きを促す。

「これ、お酒が効きすぎちゃったみたい。うっかりしてたわ。・・・子供にこれはあげられないわよね?」

「・・・子供?」

「うん。ほら、コーラスグループの子供たちよ、あと、そのお母さんたち」

と、ルミは彼女が昨年から活動に参加している地域の団体の名前を挙げた。

 なんだ、子供にあげるのか・・・

カン・マエはここで初めて眉間の深い縦じわをきれいにほどいた。
無自覚なままに幾度か瞬きを繰り返す。

「先週のコーラスの時に韓国のバレンタインについて話をしたら、珍しがられたのよ。ドイツ(こっち)ではチョコレートなんて風習はないって。友チョコとか自分チョコのことを教えてあげたら、『楽しそう』って言ってくれたから」

ルミの活動する団体はミュンヘン近郊に住むさまざまな国籍の親子が参加する音楽サークルで、欧州各国を主にアジア出身のメンバーもいる。
そのうちひとりの日本人女性だけが「義理チョコ」「友チョコ」を知っていたが、あとはみんな「バレンタインデーにチョコレート」という習慣に「へえ!」と一様に目を丸くしたのだそうだ。

「せっかくだからみんなに楽しんでもらおうかな、って思って手作りしてみたの。ちょうど14日、バレンタイン当日が活動日だから」

「・・・ああ」

そうか、と頷くカン・マエに、

「・・・だから今、もう一度、ラム酒を控えてトリュフを作り直しているんだけど、そうなるとこのチョコがもったいないなぁ・・・って」

「・・・・・」

――ね? と、丸い瞳をじっと留めて妻から表情をさぐられて、マエストロ・カンはいかにも半端な様子に瞬きを繰り返した。
態度と表情を決めかねているらしい。

「あなたも少し食べてくれると嬉しいなぁ・・・と思っているんだけど・・・」

結構大人向けの味なのよ、と、ルミは付け加える。

中途半端に固まったままの表情を隠すように、落ちてもいない前髪を大きな手で掻き上げてから、たっぷり5小節分の沈黙を経て、彼はあくまで重厚に、尊大に、威厳をもってうなずいた。

「・・・まあ・・・そういうことなら・・・」

しかたないだろうな。

せいぜい不本意さを前面に出して上唇をひん曲げつつカン・マエはそう言い、妻の手から小皿を受け取った。

ルミは「よかったぁ」と目尻を大きく下げて、机上のカップが空であることを見ると

「あ、エスプレッソも淹れるわね!」と軽やかに身を翻してキッチンへと向かった。

妻の足音が階下へ消えるのを確認してからようやく椅子に深々と座りなおして、カン・マエは書斎机の上に置かれた白い小皿に盛られたそれをしばらく矯めつ眇めつしていたが、やがて、すっと手を伸ばしてチョコレートをひとつつまみ、無造作に口に放り込んだ。

「――ふむ」

味わう顔つきで少しばかり目を細め、やがてそれが口の中をラムの香りで満たしつつ柔らかく溶けると、もう一度

「・・・・・」

ふむ、と、他に誰もいないのにことさら威厳めいてうなずく。

 まあ・・・悪くない・・。

「・・・・・」

続けてもうひとつに手を伸ばしかけ、しかし彼はその手を止めた。

受け取ったとたんに2つも食べたことが知れたらいたずらに妻を喜ばせるだけだと、意味のない悋気が胸によぎって、彼はさもなんてことないような無表情を装って、皿を机の端に追いやった。

とりあえず残りの2きれは、ルミがコーヒーを持ってきた後で口に入れることに決め、先ほどまでのもやもやが消えてすっきりとした心持ちで、彼は改めて総譜(スコア)を手にする。

数分後、湯気香るコーヒーを手に戻ってきたルミは、すでに皿の上のチョコがひとつ少なくなっていたら、それは嬉しそうに相好を崩すであろう。
それだけで充分すぎるほど報いてやったようなものだが、あとひとこと
「・・・エスプレッソに合わないこともない」
くらい付け加えてやってもいいかもしれない・・・と、思案しながら。





「やむを得ず」という大義名分の上に、堂々と手作りチョコを味わうことができたカン・マエと、「愛する人にチョコを贈る」という一番の目的が達せられたのであろうトゥ・ルミの、いずれが、より喜ばしい結果となったのかは、俄かには判じがたいものである。


ほのかに甘く



(了)



・・・なんだよ、ほのかにどころか、べったべたに甘い夫婦じゃないか・・・砂吐くぞ。
「あなたのじゃないのよ」とルミにサラリと言って欲しかったのです(笑)

なんと「後日談」SSがあるので、それは次回(バレンタイン当日掲載予定)


写真素材 ミントBlue

 
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韓国ドラマ「ベートーベン・ウィルス」(ベバ)に感染し、勢い余って二次創作・二次小説(SS)に進んでしまいました。 妄想では続編も含めてひたすらカン・マエとルミの恋愛面のみ描きます。
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韓国ドラマ「ベートーベン・ウィルス」に感染し、期間限定でカン・マエ万歳な妄想(二次創作)を綴っていきたいと、突如ブログを立ち上げた猪突猛進型主婦。
恋をしなくても生きていけるけど、恋愛要素がないと生きていけない。